釈尊の生母摩耶夫人が、出産のため生家に帰る途中、ランピニオンの菩提樹の樹の下で釈尊を生んだ。
旅の途中にもかかわらず、釈尊は安産で無事に生まれでた。このことから菩提樹を無憂樹と言い、その華を無憂華と称する。
転じて人においてどのような境遇であろうと、清い心を持ち神・仏の道を歩くことで憂いに汚されることの無い人生をおくることをも意味する。

このホームページが常に無憂華を志向する救いとなればと願います。
「無憂華(憂い無き華)の如き人生を生きるために」


 vol.004  懸命に生きる子供たち

   先日、池間哲郎氏の「懸命に生きる子どもたち」という講演を拝聴してきました。
 NPO法人アジアチャイルドサポートを率いてボランティア活動をしている人で、自らの支援活動のかたわらで、自身で撮影した写真やビデオを紹介しながらの講演でした。

 主にアジア(タイ、フィリッピン、モンゴル、カンボジア、ミャンマーなど)のゴミ捨て場やスラム街で生きる子どもたちのドキュメントを通して、「日本人こそ、一生懸命に生きているアジアの子どもたちから命の尊さを学んで欲しい」との強い想いを訴えていたのです。

極度の貧困地帯において過酷な状況に晒されて必至に生きる子どもたちの姿が淡々と語られる中、枚挙に暇がない酷い現実を認識させられながら、不思議な感慨にとらわれました。期せずして聞いた講演だったからかもしれません。知っていながら、長いこと無視してきたことだったからかもしれません。傍観者の後ろめたさもあるやもしれません。

 池間氏が話す内容は全て正しく、また彼のボランティアでの活動理念も中庸を得た見事なものであるように感じられたのです。政治や民族または宗教などなど、原因と思しきことはあまたありながらも、まずそこに発生する貧困故に、日々生死の境で生きていかねばならない子どもたちへの支援に的を絞っていました。

子供たちに自分達ができることをやっていくのだという、貫徹した姿勢は、多くの支援実績が実を結んでいることからも、地に足着いたボランテイアだとわかりました。

 もっとも共感したことは、最後に彼が語った言葉です。

 ボランティアにとっての3つの大切なこととして、抜粋します。

 1つ目 理解する。解る。知ることも大切なボランティアです。毎日、貧しさのために多くの命が失われます。その、殆どは何の罪も無い子どもだということを知ってください。

 2つ目 皆さんの優しい心を少しだけ分けてください。100%の愛は入りません。1%だけでいいのです。少しだけ何かを我慢し、分ける心が大事です。

 3つ目 最も池間氏が伝えたいことです。最も大事なボランティアは自分自身が一生懸命に生きることです。ゴミ捨て場に暮らしている子どもたちから、マンホールに住んでいる子どもたちから、一生懸命に生きることの大切さを学んで欲しいと伝えているのです。

 まさにその通りだと思いました。戦後六十数年に日本人の精神性から奪われてしまったものがはっきりと示されていたのです。全てが当たり前になり、感謝を忘れ真剣に生きることの無くなった民族に、絶望的な貧困と差別の中で生きる子どもたちの姿を刃として突きつけているかのように思えました。

 不思議な感慨は、説明し難く、ゆっくり時間をかけて考えてみるしかありませんが、この無憂華というコラムを書くにあたっては、更に深く考えねば一歩も先に進めないように思います。意味のある講演会でした。  



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