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釈尊の生母摩耶夫人が、出産のため生家に帰る途中、ランピニオンの菩提樹の樹の下で釈尊を生んだ。
旅の途中にもかかわらず、釈尊は安産で無事に生まれでた。このことから菩提樹を無憂樹と言い、その華を無憂華と称する。
転じて人においてどのような境遇であろうと、清い心を持ち神・仏の道を歩くことで憂いに汚されることの無い人生をおくることをも意味する。
このホームページが常に無憂華を志向する救いとなればと願います。
「無憂華(憂い無き華)の如き人生を生きるために」
vol.005
桜前線・・・桜と富士山@
東京の桜の開花は早く、すぐに満開になった花は今日の雨で散ってしまうだろうから、正しく咲いてすぐに散る桜花であった。仕事の合間をぬって九段の千鳥ヶ淵に撮影に行ってみた。予測した以上の人出に閉口した。隙間を見つけては撮影した。
試みたいことがあって、何台かカメラを持参した。 現像してみないことにはわからないが、おそらく思惑通りにはいかなかっただろう。
桜は実に不思議な花である。
不思議さの一例をあげたくて写真の話を持ち出したのだが、実力の無い自分の写真は言うに及ばず、高名な写真家のものでも桜の写真に感心したことがない。被写体としては強敵なのだと思う。同じように感じているものに富士山がある。奇しくも日本人が精神性の拠り所として長年シンボルとしてきたものである。
桜に富士山。
あくまで私見であるが、この二つのものはこの世のものではないのだと思う。
物体としての存在感は、希薄に感じられあたかも幻影を見せられているようなのだ。
反対に本質としての存在感は圧倒的であり、日本人ならずとも海外の識者たちですら精神性を認めるところである。富士山は、中国やチベット、インドの山岳民族がどうしてか存在を知っており、終生憧れ続けているという話を聞いたことがある。
秦の始皇帝が、除福を遣わし不老不死の仙薬を求めて富士山を訪ねたことには、半ば伝説だとしても深い意味が隠されているように思える。桜と富士山は同じようにあの世のものであっても性質と役割は異なると考えられる。
桜は若い頃好きではなかった。年を重ねようやく綺麗だと思えるようになり、また不思議だとも感じ始めた。枯れ木に一斉に花が咲き誇る様が不気味でもあったし、ことに夜桜は怖い感じがあった。坂口安吾の小説にもそのようなテーマがあったが、浄福を願う死霊達が桜の花の中空を跋扈するような気配が醸される。狂気と血が似合うこともある。
昼さ中の花見の群集にはおよそ想像もつかない本質を隠して、さりげなく美しく佇んでいる。不可思議が深くなるにつれ、桜とは一体に何なのだろうと考え込むようになってしまった。時代遅れの妄想と誰も取り合わぬのかも知れないが、嘗て日本人がまだ日本人としての精神性を大方のところで保っていた時代〜昭和45年くらいまでのことではないかと勝手に思ってるが〜には理屈ではなく、感覚としてそのような桜の美しさを愛でていて、崇高なものに対する態度はもち得ていた。
このコラムには時事のことをのせて、話題を共有しようとする趣旨があるのだけど、今回、ニュースを取り上げたいとは思わなかった。いくつものニュースが酷い話ばかりであり、今後も続々起こることだろう。もう歯止めはきかないところまできてしまった。
然し、私はこう考えている。
このような状態の元凶に切り込まなければ、行き着くところまで行き着いて正しいところに転じようとする時、従うべき指針を持ちえず、また日本人がまだ失いきってはいない伝統的な精神性を蘇らすこともかなわない。
桜の不思議を考え、その花の美しさを想うことは直接日本人の精神性に直結する。強靭な精神性に裏打ちされた清らかな情緒は、自らを救い、他を助ける。
一昔前では当たり前のことであり、今となっては誰も見向きもしない事供を考えることで心ある日本人が一人でも多くなることを願う。
バックナンバー
vol.009 秋葉原通り魔事件に思うこと
vol.008 四川大地震について
vol.007 NHKドラマ「ちりとてちん」と関西落語ブームについてA
vol.006 NHKドラマ「ちりとてちん」と関西落語ブームについて@
vol.005 桜前線・・・桜と富士山@
vol.004 懸命に生きる子供たち
vol.003 イージス艦衝突事故について
vol.002 市川昆監督の逝去を悼む
vol.001 中国製冷凍餃子の農薬混入事件について思うこと
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