釈尊の生母摩耶夫人が、出産のため生家に帰る途中、ランピニオンの菩提樹の樹の下で釈尊を生んだ。
旅の途中にもかかわらず、釈尊は安産で無事に生まれでた。このことから菩提樹を無憂樹と言い、その華を無憂華と称する。
転じて人においてどのような境遇であろうと、清い心を持ち神・仏の道を歩くことで憂いに汚されることの無い人生をおくることをも意味する。

このホームページが常に無憂華を志向する救いとなればと願います。
「無憂華(憂い無き華)の如き人生を生きるために」


 vol.009 秋葉原通り魔事件に思うこと

  またしても考えられない凄惨な事件が発生した。 被害にあわれた方々とご家族に対して言葉がない。 亡くなられた方にはご冥福をお祈りするだけである。

事件後、次々に報道される事実に多くの人が更なる驚愕と戦慄を覚えていることだろう。 誰しも、正気の沙汰ではないと感じるしかない事件だが、人智を超えた神が人を人たらしめるとすれば、人智を超えた悪魔が人を怪物たらしめる。

そう考えざるを得ない。 犯罪事件において、心神耗弱やそれより重篤な心神喪失状態で正常な判断能力がないとされる類ではなく、本人が幼い頃から成人に至る間、普通(何をもって普通とするかは難しいのだが)の生活の中で躾けられなった道徳・倫理や自ら磨かねばならない自制心の欠如に乗じた否、同調したというべきかも知れない、得たいの知れない悪魔がさせた業としか考えられないと思う。

犯罪史上、いくつかそう思えるものがある。 翻って、そう考えなければどのような分析もあてはまらず原因やことに及んだ理由が漠としてつかめないのがほんとのところである。

1997年3月から6月にかけて発生した、神戸連続児童殺傷事件俗に酒鬼薔薇事件に同じ匂いを感じる。 奇しくも、酒鬼薔薇と同年という事実も手伝ってのことであろうが、犯人の母親が以前より我子を異常視し、恐怖していたとする報道があった。 母親が実の子の何を恐怖したのか。 恐らく血の通わぬ怪物の姿を我子の中に垣間見ていたのではなかろうかと想像する。

私事でつまらない話だが、あの事件の発生した時間に、秋葉原の事件現場から数百メートルしか離れていないところを歩いていた。しかもあの場所に行きかけてやめた後である。 行っていれば巻き込まれたかも知れない。 住まいが湯島で、秋葉原にしょっちゅう通っている自分にとって他人事ではなく感じる部分も多い。

何故犯人は秋葉原を選択したのか。秋葉原でなければならなかったのだろうか。秋葉原は、完全にオタクの街に変貌してしまっている。 バーチャルでしか自分を解放できない人間達が屯する異常な街である。 見たところ普通の若者が、特別訓練を受けずとも手だれたコマンドのように次々と人を刺していく様は、正しく殺人ゲームそのままを実行した。

勝手な憶測にしか過ぎないが、秋葉原でなければならなかったと思える。繰り返すが、個々の悲しみをあざ笑うかのような悪魔の所業を思わざるを得ない。



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