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Haru:
緋宮:
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小さい頃からお料理自体はお好きだったのですか?
私は躾、作法に大変きびしい家庭に育ちました。
小さい頃から『お茶』、『お華』、『お琴』などをさせられましたから、ずっと正座の生活で高校生ぐらいになってから椅子の生活になったんで。
今でも本当は正座のほうが落ち着きます。
しかしそのころはまだ若く、厳しい家庭環境でしたので高校を卒業したらとにかく早く家を出たいの一心でした。
なんでも良いから親の元から離れたいの思いだけでした。料理の勉強をしたいから、料理の学校に行きたいなどの考えは一切なかったですよ。むしろ、自分で料理をつくることに当時は反発していました。
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Haru:
緋宮:
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料理を職業にしていくきっかけは何だったのでしょうか?
実は一つ分かったことがあります。神様がお役目を与えようとする人には、気づかせるためにカミナリを落とすということです。
私には三人の子どもがおります。長男は極度のアレルギー体質で小児ぜんそくでした。次男は先天性の心臓に穴があいている病気を持っていました。三番目の娘は唯一健康でした。次男の時はカミナリを感じたどころではなく、この子を連れて死のうか。。。と正直思ったことがありました。今でも病気を持って生まれてきてしまったら大変ですけれども、20数年前に心臓病で生まれたと言うことは大変な出来事でした。
周りもそうでしたが、『なぜこんな子が生まれたのだろうか』と悩み、自分を責め続けました。子どもと約一年間一緒に入院し、小児病棟の生活を経験しました。
みんなが明るいので光が射す一面もありましたが、辛く悲しい毎日でした。癌や白血病の子どもたちを見て、まだ自分の子どもは軽いんだなと逆に励まされましたが、『なんでこんな子が私の体から出てきたのだろうか』と考えたときに、私が若い頃に食べていたものにいきつきました。インスタントラーメンやカップラーメンが出てきた時代です。親に反発して家を飛び出した頃です。
料理は一切しませんでした。ご飯とは呼べないものを食べていましたし、食事の代わりにお菓子やスナック、甘いものを食べたり、ファミリーレストランによく足を運びました。
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緋宮:
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一番健康な卵子をつくらなければいけない時期に食事の乱れから体の中に添加物の蓄積を生み、神様がこれを罰として、食事に『気づきなさい』というメッセージを教えてくださったのだと思っています。子どもには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今でも子どもの胸には大きく手術の後が残っています。
とてもごめんなさいではすまないことですね。
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緋宮:
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私も仕事を続けていると辛いことや失敗などがあります。金沢で料理学校と料理店をかけ持ちしており、365日休みがなく『あぁ、もうやめたい』と泣きながら思ったこともあります。
しかし次男の手術の痕を見るたびに『頑張らなきゃ』『この子にちゃんとしたお母さんの背中を見せなければ』という思いでやってきました。今から思うと大きな転機でした。
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Haru:
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緋宮さんみたいな境遇の人はいらっしゃるでしょう。でも普通緋宮さんのようには思いません。他人に転嫁はするけども、自分の生活態度、食生活が悪かったんだと思い当たる人はほとんどいないのではないでしょうか。
しかし緋宮さんの辛さは並大抵ではなかったでしょうね。20数年前の金沢ですよね。金沢って素晴らしいところです。でも保守的な面を持っていますよね。
私は鹿児島出身なんです。鹿児島と言ったら超が付くほどの保守的なところで、男尊女卑の典型的なところなんです。すると、何かあれば『嫁が悪い』と言うことになるんですね。
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